「推し、燃ゆ」を読んだ

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芥川賞を受賞した宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」*1

ずっと気になっていたのですがようやく読めました。

物語に引き込まれて一気読みしていました。

推しがいる人、推す感情がわかる人には共感できることがあるだろうし、推す意味が分からない人にとっては、新たな世界との遭遇になるかもしれません。

ここからは感想ですが、若干のネタバレを含むのでご注意ください。

 

主人公のあかりは、推しを推すことに生きる希望を見出します。

生活が推しを基準に回るほど全身全霊で推したのは、彼女の生き辛い境遇あってゆえ、強い光を求めたからなのかも知れません。

推しが生きる活力になるという気持ちに共感する人は多くいると思います。

笑顔を見るだけで癒される、ふとした表情が可愛い、すべてが尊い、生きててくれてありがとう。

そして、推しを見続けたい、追いかけ続けたいという欲求から"生きるぞ" という活力が湧いてくる。

推すことに没頭すれば、都合の悪い現実からも逃れられる。

正直、推しが一般人に戻ったあと主人公が自殺してしまうのではと思いました。

それくらいの入れ込みようだったから。推すことが存在意義みたいな生き方をしていたから。

でも彼女は不器用でも生きることを選びました。

これからの推しを見る権利は自分にはもうないのだと打ちひしがれながらも、これまでの推しは彼女にすっかり染みついている。

推しが遠い存在だと認識していた主人公は、どこかで推しがいなくなる可能性をわかっていた。推している自分を俯瞰していた。

主人公は、推しを通して自分を解釈していたのかもとも思います。推しに惹かれるのは何故か、推しを理解することはひいては推しに惹かれる自分を理解することに繋がっていく。

自由とか多様性とかいう言葉が溢れ、ある意味どんな生き方もしようと思えばできる時代。

色んなものが溢れるからこそどこに集中すれば良いのかわからない時代。

推しは道標のような存在になる。何かに夢中になる自分、没頭できる自分を見つけられる対象にもなる。

今の「推し文化」のようなものは、あるべくしてあるのかなと思いました。

推しの解釈を通して見つけていった価値観とか考え方とか、そういうものは自分の血肉になっていくのだろうと思います。