「自分に気づく心理学(愛蔵版)」を読んで

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自分に気づく心理学(愛蔵版)」という本を読みました。

自分への理解を深めさせてくれる本でした。

著者は加藤諦三さん。
プロフィールはリンクのとおりです。
社会心理学者であり、「自信と劣等感の心理学」「心の休ませ方・40のヒント」など『心』に関する本を多数出版されています。

感想

生きづらさとか、人間関係への恐れとか、どこから生まれてくるのか。
この本を読んで、幼い頃に心から甘えられなかったことで生じた精神的な歪みの反動として出てくるものなのだろうと思いました。
この『甘え』というのは厄介で、相手が甘えさせてあげていると思っていても本人が甘えられていなければ意味をなさない。

幼い子供の心は繊細で、親のちょっとした一言の打撃が大きかったりする。
親は全てを受け入れているつもりでも、子供がありのままでは受け入れられないと心を閉し偽りの自分を演じ始めれば、もう本当の意味で甘えることはできなくなってしまう。

自分の本心を抑圧し自分を偽り続けた人間は、自分の本来の感情がわからなくなって生きている実感を失っていく。

本当に幼い頃は親が全てだけれど、子供の世界は成長に伴い広がる。
だから新しい世界での出会いが人を変えていくこともある。
プラスの方向にも、マイナスの方向にも。

何はともあれ、この本を読んで思い当たる節が多々あった者としては、自分が甘えの欲求を抑圧していることを自覚し、幼稚な自分を受け入れるべきなのだと思います。

甘えの抑圧の自覚はなかったので、気づかせてもらえてよかったです。

あとこの本を読んでいて、「推し、燃ゆ」と「うっせぇわ」を思い出しました。

「推し、燃ゆ」はこの文章で想起しました。

「私」という実感を失ってしまった者は、たえず自分の存在感を感じようと焦る。自分は生きているという確かさを必要とする。それを何かにしがみついて得ようとする。自分の存在を証明してくれるような何かを見つけて、それにしがみついて生きていこうとする。

物語の主人公あかりにとって、自分の存在を証明してくれるような何か推しだったのでしょう。

「うっせぇわ」を想起したのはこちらから。

「良い子だなあ」と言われるために、自分をまともな人間でなくしてしまったのである。「良い子だなあ」と言われるために、生きる喜びを捨ててしまったのである。捨ててしまっただけではない、生きることを辛いことにしてしまったのである。

うっせぇわはの主人公は、上述のことに気づいたか、本能的に危機を察したのかも。
以前ブログに主人公も愚かなのではと書きましたが、この本を読んで良い子の殻をとっぱらう主人公の行為は、本来の自分を取り戻すという意味で正しさなのかもしれないと思いました。

そしてこれらの作品が反響を集めるということは、自覚がなくても『甘えの抑圧』に苦しむ人が多くいることを示しているのかもしれません。

参考

www.katotaizo.com